農業メモ

農業の日々の気付きをしたためてみます。ふと浮かぶ気づきひらめきいい気分。

心の定義

 量子力学における物質波は、基礎的概念である。ド・ブロイのよると、粒子は波を伴う。物質波の式は、

 λ=h/mv

ここで、λ波長、hプランク定数、m質量である。

 心をm=0の粒子として示すことができる。

 逆に、物質波の式を原理として認めて心を数値的に表現することができる。即ち、物質波の式を原理として認める。

 λ=h/mv

が成り立つ。

 量子力学は、現在最も正確な、学問とされている。この式において、質量m=0、λ=∞の粒子として心を定義する。心の粒子である。すると、これは、量子力学という物理学において、初めてこころが数値的に表現されたのである。

 物質波の一つの極限として、m=0の粒子として定義された。 

 心は目に見えない存在であるから、目に見えない存在すべてを定義したのである。心、精神、魂、意識、潜在意識、顕在意識、超意識、神、命、思考、霊、目に見えない存在すべてを定義している。

 目に見えない存在は、多数にわたるが、そのすべてを定義している。こうして、量子力学は、心を捕らえたことになる。量子力学と心理学を接続したことになる。

 心がm=0の粒子であるから、科学的な観測に依って測定できなかったのは、当然である。神も命もm=0の粒子である。

 神が無限であることも示している。同様に、命が無限であることも示している。命というものが、無限の拡がりを持つ存在であることを示している。

 これは、万物に命が宿ること、万物に神が宿ることを意味している。

 心が即ち宇宙であることも示している。万物が、波であり、粒子であることを示している。すべては波動。すべては、粒子、すべては物質であることも示している。

 唯物論に一致している。唯心論に一致している。

 すべてが、物質波の式により、表現される。表現可能である。表現出来ないものはない。物質波の式を原理とすることは、妥当であり、経験と矛盾しない。

 デカルトが、心と物質を分けたのはm=0の存在と有限な大きさをもつものとを分けたのである。

 心が粒子であり、波であると認めるならば、心は、無限の拡がりを持つ波であるから、肉体の中の心臓や、腎臓の中に閉じ込められた存在ではないことがわかる。

 心は、脳の作用ではないことがわかる。心は、体の作用でもない。心は、脳とは独立した粒子である。

 あらゆる粒子に命が宿ることを示している。命は、無限の拡がりを持つのであり、この宇宙に一つの命がある。すべての存在に共通な一つの命がある。すべての存在が一つの命を共有している。

 私達は、一つの命である。

 本文の価値は、初めて、物質波の式を、心に適用したことにある。すべての粒子には、波が伴うことから、心にも波が伴うこと、心が波であることを認めたのである。