目に見えない存在を指し示すときに、私は存在すると表現し、私を使う。
目に見えない存在が思考するときは、心の中で思考すると表現し、心を使う。
目に見えない存在の思考の内容に注意するときは、思考を意識すると表現し、意識を使う。
目に見えない存在と肉体との関係に注意するときは、魂は肉体に宿ると表現し、魂を使う。
目に見えない存在と肉体との秩序関係を示すときは、霊主体従と表現し、霊を使う。
目に見えない存在と生と死の関係を示すときは、命あるときは生で、命なきときは死であると表現し、命を使う。
目に見えない存在の性質を示すときは、神は全知全能永遠無限の存在であると表現し、神を使う。
目に見えない存在は、ただ一つであるのに、私、心、意識、魂、霊、命、神の7つもの言葉で表現している。
あたかも、7つの互いに独立した、別々のものがあると誤解させるためのように、表現が異なっている。しかし、事実は目に見えない存在が、ただ一つあるだけである。
注意の置き場がどこにあるかで、呼び名を変えているだけである。
目に見えない存在は、私であり、心であり、意識、魂、霊、命、神であり、ただ一つの存在である。
即ち、私は神である。会う人すべてが神である。
私は無限の命である。私は宇宙を包む大いなる命である。人の命は私の命である。目に見えない存在と言うただ一つの命である。
敵の命は、私の命である。宇宙を包む大いなる一つの命である。敵はいない。無敵である。敵を傷つけることは、自分を傷つけることである。
人に与えることは、私に与えることである。
私は無限の命である。すべては私の内側に存在する。
参考文献
その放射体こそ、すべてのものの中に、すべてのものをつらぬいて存在する「一なる生命」である。 p88 ヒマラヤ聖者の生活探求第三巻 ベアード・T・スポールディング
あらゆるものを包みこんでいる宇宙的な大生命を抱いて生きる p89 UFO同乗記 ジョージ・アダムスキー 角川文庫