バッハのg線上のアリア
美しい音楽を聴くと、はじめて聴いた曲であっても、美しいとわかる。
何故わかるのか。どこで、誰に、美しいということを学んだのか。知り得たのか。
何故美しいと知っているのか。分かるのか。
それは、美しさそのものを知っているということだ。いつ、美しさを知ったのか。
美しさそのものを肉体的な経験から学ぶことはない。美しさそのものは概念だから、経験に依らず知っているのである。
経験に依らずに知っている美しさそのものは、ここに生まれてくる前に知っていた。学んだことになる。
生まれてくる前に知っている知識であるということだ。
美しさそのもののように、真善美を知っている。真実そのもの、善そのものを知っている。はじめて出会うことにも、良し悪しを判定している心の中の存在がある。
美しさそのものが何かわからない。神だ。と言っても神が何かわからない。神が何なのか、わからない。
目に見えない存在だ、くらいしか、わからない。だからなんだ。としかわからない。ただ存在するものがある。そこまでしかわかっていない。その先は目に見えない。
人知の有限の知性では、理解しえないものがあり、神のみぞ知るというものがある。
わたしは、AとはBであるの形に表現されたことを、分かったといいたいようである。しかし、AもBも人間の言葉である。人間の有限なる言葉で、無限の世界の事を指さそうとしているから、正確に表現できる言葉がないので、わからないことになる。何かしら違った表現方法を取るしかないであろう。