農業メモ

農業の日々の気付きをしたためてみます。ふと浮かぶ気づきひらめきいい気分。

座標

 粒子の座標x,y,zと時刻は、空間と時間に結びついている。空間から、分離独立して座標が、することは、できない。分割不可分の一体であるのだ。空間と座標とは、結びついていて、粒子の位置は、座標で示すから、粒子と座標も一体不可分の存在である。

 ド・ブロイの物質波は、粒子と波とが不可分であることを示している。

 相対性理論は、時間と空間が時空連続体であることを主張している。

 粒子波動空間時間が、全て繋がっていて、一体不可分の存在になつている。

 ボームは、量子力学から、ここに到達した。その結果、東洋文明に関心が深まったようである。

 ボームは、、現代文明の危機的状況の原因を、西洋文明の断片化であると気づいた。デカルトにしたがい、細分化して、要素ごとに最適化すると、その総和は危機的状況となる。全体の最適化することが解決になる。

 断片化は、主語述語目的語の言語構造にあるとボームは見ている。主語に重きを置くので、断片化に向うという。英語フランス語西洋文明の言語は、主語に重きを置くので、断片化につながる。世界の危機的状況を生み出している。

 動詞に重きを置く言語であれば、断片化へは向かわないという。古代ヘブライ語がそうであるという。日本語もそうである。主語わ省略しても意味が通じる。断片化しないのである。

 日本人が、災害に際して、慎重で落ち着いた態度を取ったと、海外から、高い評価を受けるのは、全体の善を行うからだ。

 全てが、一体不可分の運動であるからだ。

線形代数

 実際に測定出来る物理量は、実数だけである。

 エルミート演算子固有値は実数となる。

 エルミート演算子であることは、実験で観測出来る物理量の演算子であることを示す。

 ハミルトニアンは全エネルギーを求める演算子である。

 ハミルトニアンは、エルミート演算子である。ハミルトニアン行列表現は、エルミート行列である。

 エルミート行列の固有値は実数である。

 エルミート行列はユニタリ行列により、対角化される。

 ハミルトニアン行列表現が、対角行列になった場合は、固有関数が正しく求められたことを意味する。

 線形代数を要約した。

 線形代数量子力学と関係が深い理由である。

分割不可能性

 1929年ボーアは、作用量子の分割不可能性の仮説について述べた。

 これはド・ブロイによる物質波の概念である。

 物質波の仮説は、その後、実験的に確認された。その意味するところは、粒子は波を伴うことである。粒子と波が結びついていることである。

 一方で、波動とは、空間に広がる媒質の振動であり、従って、波動は、空間から分離、独立して存在することは出来ない。

 波動は、空間と密接な関係を持っている。

 波動は、その定義に依って空間と結びついている。即ち、波動空間連続体である。

 アインシュタイン相対性理論によれば、時間と空間は、時空連続体である。

 3つを統合すると、時間空間波動粒子連続体である。

 時間空間波動粒子連続体仮説である。

 時空波粒連続体仮説である。

 この仮説は、すでに実験により確認された事実であると言えよう。

 この仮説によれば、量子力学のスリット問題や、観測の問題についても、ごく自然に、容易に正解が得られる。

 この仮説の示す所は、存在するすべてが、結びついていて、一体として存在していることである。

 即ち、分離独立して存在することの不可能性を示している。

 全体が一体として存在するのであり、分割、分離独立が不可能であることを示している。

 物質を分割して、原子に至ってはじめて、分割不可能性が、生じるとされている通説とは、異なり、どの大きさの物体でも、すべての物体が、空間と時間と結びついていて、ただ一体だけが存在していることを主張している。

 分離独立の不可能性を示している。

 すべてが一体であることを示している。

心の定義

 量子力学における物質波は、基礎的概念である。ド・ブロイのよると、粒子は波を伴う。物質波の式は、

 λ=h/mv

ここで、λ波長、hプランク定数、m質量である。

 心をm=0の粒子として示すことができる。

 逆に、物質波の式を原理として認めて心を数値的に表現することができる。即ち、物質波の式を原理として認める。

 λ=h/mv

が成り立つ。

 量子力学は、現在最も正確な、学問とされている。この式において、質量m=0、λ=∞の粒子として心を定義する。心の粒子である。すると、これは、量子力学という物理学において、初めてこころが数値的に表現されたのである。

 物質波の一つの極限として、m=0の粒子として定義された。 

 心は目に見えない存在であるから、目に見えない存在すべてを定義したのである。心、精神、魂、意識、潜在意識、顕在意識、超意識、神、命、思考、霊、目に見えない存在すべてを定義している。

 目に見えない存在は、多数にわたるが、そのすべてを定義している。こうして、量子力学は、心を捕らえたことになる。量子力学と心理学を接続したことになる。

 心がm=0の粒子であるから、科学的な観測に依って測定できなかったのは、当然である。神も命もm=0の粒子である。

 神が無限であることも示している。同様に、命が無限であることも示している。命というものが、無限の拡がりを持つ存在であることを示している。

 これは、万物に命が宿ること、万物に神が宿ることを意味している。

 心が即ち宇宙であることも示している。万物が、波であり、粒子であることを示している。すべては波動。すべては、粒子、すべては物質であることも示している。

 唯物論に一致している。唯心論に一致している。

 すべてが、物質波の式により、表現される。表現可能である。表現出来ないものはない。物質波の式を原理とすることは、妥当であり、経験と矛盾しない。

 デカルトが、心と物質を分けたのはm=0の存在と有限な大きさをもつものとを分けたのである。

 心が粒子であり、波であると認めるならば、心は、無限の拡がりを持つ波であるから、肉体の中の心臓や、腎臓の中に閉じ込められた存在ではないことがわかる。

 心は、脳の作用ではないことがわかる。心は、体の作用でもない。心は、脳とは独立した粒子である。

 あらゆる粒子に命が宿ることを示している。命は、無限の拡がりを持つのであり、この宇宙に一つの命がある。すべての存在に共通な一つの命がある。すべての存在が一つの命を共有している。

 私達は、一つの命である。

 本文の価値は、初めて、物質波の式を、心に適用したことにある。すべての粒子には、波が伴うことから、心にも波が伴うこと、心が波であることを認めたのである。

エーテル粒子結晶固体

 エーテル粒子結晶固体は、電子の存在により、結晶格子が弾性歪みを生じ、この歪みが、別の電子に影響を与える。

 格子の弾性歪み、または格子振動の量子をフォノンと呼ぶ。フォノン交換により、2つの電子は、相互作用する。

 エーテル粒子結晶固体の温度、つまり宇宙の背景温度Tが下り、臨界温度Tc以下になると、常伝導状態から、超伝導状態へ、相転移が起きると考えられる。超伝導現象を説明するBCS理論がある。

 フォノンを交換する二つの電子は、クーパー対を形成する。クーパー対は、ボゾン粒子として振る舞い、ボーズ凝縮し、超伝導状態の基底状態を与える。

 フォノンを交換する二つの電子は、引力的相互作用を生じる。

 量子力学的トンネル效果により、エーテル粒子結晶固体は、物体を透過する。物体に衝突しない。検出もされない。観測もされない。

 一つの電子から別の電子へのフォノン交換は、エーテル粒子の物質波の波長よりも小さな距離で起こる。即ち、宇宙球の範囲内にある2つの電子に引力的相互作用が生じる。

 宇宙球内のすべての電子間で引力的相互作用が生じる。

 宇宙は、超伝導状態にある。

量子力学的トンネル效果

 エーテル粒子は物質波として、宇宙球の大きさの波長を持っている。エーテル粒子の結晶固体の各粒子は、格子振動を生じる。これをフォノンと呼ぼう。電子がエーテル粒子のそばを通るときに、エーテル粒子の振動、ゆらぎが起きる。もう一つの電子が、そのゆらぎに影響される。このとき、フォノンの交換があったとする。

 ひとつの電子から、フォノンが放出されて、別の電子に吸収される。このフォノン交換により、電子間の引力的相互作用が起こりうる。

 エーテル粒子の結晶固体は、量子力学的トンネル效果によって、物体を通り抜ける。物質波により、厚みが宇宙球のサイズの壁を通り抜ける。ぶつからない。摩擦もない。何もない。よって、検出も出来ない。

 フォノン交換も、物質波のサイズの距離で行われるから、ひとつの電子と、宇宙球のすべての電子とのフォノン交換が可能である。

 電子間引力的相互作用は、宇宙球の距離で、フォノン交換を行う。

 物体に含まれている電子の全てについて、2つの電子間でフォノン交換が起こる。ひとつの電子に対して、宇宙球に含まれるすべての電子とフォノンを交換する。

 エーテル粒子の結晶固体が、弾性率を持っていても、量子力学的トンネル效果によって、物体と衝突することが出来ない。物質波の波としての性質により、物体を通り抜けてしまう。宇宙球サイズの厚みの壁を通り抜ける。

 エーテル粒子の物質波とは、敢えて表現すると、粒子の重心と呼ばれているものが、物質波の大きさまで拡がったものである。エーテル粒子の重心という点とみなされてきた存在が、宇宙球のサイズに拡がったものである。重心があるから、宇宙球のどこであれ、エーテル粒子は存在する。

 通常の物体は、重心は点であり、拡がりのないものである。量子は、波としての性質が顕著になり、物質波として存在し、重心が波長のサイズまで、拡大する。

バッハのg線上のアリア

 美しい音楽を聴くと、はじめて聴いた曲であっても、美しいとわかる。

 何故わかるのか。どこで、誰に、美しいということを学んだのか。知り得たのか。

 何故美しいと知っているのか。分かるのか。

 それは、美しさそのものを知っているということだ。いつ、美しさを知ったのか。

 美しさそのものを肉体的な経験から学ぶことはない。美しさそのものは概念だから、経験に依らず知っているのである。

 経験に依らずに知っている美しさそのものは、ここに生まれてくる前に知っていた。学んだことになる。

 生まれてくる前に知っている知識であるということだ。

 美しさそのもののように、真善美を知っている。真実そのもの、善そのものを知っている。はじめて出会うことにも、良し悪しを判定している心の中の存在がある。

 美しさそのものが何かわからない。神だ。と言っても神が何かわからない。神が何なのか、わからない。

 目に見えない存在だ、くらいしか、わからない。だからなんだ。としかわからない。ただ存在するものがある。そこまでしかわかっていない。その先は目に見えない。

 人知の有限の知性では、理解しえないものがあり、神のみぞ知るというものがある。

 わたしは、AとはBであるの形に表現されたことを、分かったといいたいようである。しかし、AもBも人間の言葉である。人間の有限なる言葉で、無限の世界の事を指さそうとしているから、正確に表現できる言葉がないので、わからないことになる。何かしら違った表現方法を取るしかないであろう。