農業メモ

農業の日々の気付きをしたためてみます。ふと浮かぶ気づきひらめきいい気分。

要素の善

 ボームによって指摘された言語構造に基づく断片化は、西洋文明において、大きな問題に繋がっている。

 デカルトは、その原因のように例えられるけれども、デカルトよりも前に、西洋文明は、断片化を行っていたのである。言語構造の方が、デカルトよりも古いからである。

 デカルトは、問題解決の方法として、問題の要素分割を行い、要素毎に解決し、枚挙し、統合し、全体の解決をするものであった。デカルトの方法は、全体を解決する完全な方法で、全体善を与えるものであったが、断片化を是とする西洋文明は、その前半だけの要素の善をもって善としたのである。

 暗黙のうちに要素の善を善とする人は、要素毎の善を求める。個人個人の善を善とする。個人主義になる。個個別別の善となる。自分さえ良ければ良いのだと思う。災害時に、店から物を盗むのも、自分さえ良ければ良いから、善となる。車の中のゴミを外にポイ捨てすることも、自分さえ良ければ良いから、善である。善人の行動である。英語教育を受けた人ほど、要素の善を追求しやすいであろう。

 ボームによれば、西洋文明の断片化の原因は言語構造に起因するという。主語、述語、目的語の主語が重要になり、主語を他から分離独立して認識しやすく、断片化に繋がるという。

 同じ言語構造においても、動詞が重要となる場合には、断片化しないという。動詞は、動的全体を一体として認識し、断片化しにくいという。

 古代ヘブライ語が、そうであったという。断片化せず、全体善を導くのだ。日本語も、動詞を重要とする言語である。このため、全体善を善とする日本人の行動は、最近、世界標準として、注目を浴びつつあるのだと、私は思う。

 量子力学の先端での観測問題や、相対性理論の時空連続体の発見から、すべてが、不可分の全体であることの認識は、ますます重要になってきている。

 科学が進化し、精密になってはじめて、断片化の誤りに気づき、全体善を追求するようになったと思う。

 全体善の追求が広まれば、今日の危機的状況は、解決されるであろう。やっと安心出来るところに到達したのである。