農業メモ

よい気分になるものを選ぶ。めざすのは、やわらいでいる体、わらっている呼吸、やすらいで受け取る心、楽しんでいる生活。

三浦崇子さん

令和5年9月10日 於靖國神社参集殿

 

靖國神社崇敬奉賛会青年部あさなぎの勉強会でインパール作戦から生還された佐藤哲雄氏(103)のお話を伺った。

 

とても103歳とは思えぬ矍鑠としたおしゃべりをなさる佐藤さん。

失礼なのを承知で言うがとてもチャーミングな方で普段も楽しいおじいちゃまなんだろうなぁと、そのお人柄に触れ一発で好きになった。

私も佐藤さんの里近くにルーツがあるので新潟北部の訛りが入った飄々とした語り口にも親近感が湧いた。

 

靖國神社に参拝するのは29年ぶりだったそうで、帯同して下さったご家族も『おじいちゃん良かったねぇ』と、温かで素敵な家族の姿に幸せをお裾分けいただいた気持ちになった。

 

インパール作戦は生還者の極めて少ない過酷なものだった。

佐藤さんの所属した58連隊はビルマ北部から川幅3~600メートルもあるチンドウィン川を渡河、インドの密林に入り2000メートル級のアラカン山系の峻険な山道をひたすら歩きコヒマに向かった。

コヒマからインパールまでのイギリス軍の補給路を断つ作戦だった。

 

コヒマではイギリス軍との激戦が始まり、物量を誇る敵に対し兵站不足の日本軍の戦いは困難を極めた。

一旦は占領したコヒマだが、戦況はどんどん不利になる。これ以上の戦闘は不可能と判断した師団長は独断で退却を支持、生き残った兵士たちはインパールに向けて歩き出した。

雨季の激しい雨の中ジャングルを行く飢えた兵隊の体力はいよいよ底をついてゆく。

敵、飢え、雨に加え、夜はヒョウの襲撃に遭い、昼は6尺(180センチ)ほどもある禿鷹に襲われた。

フラフラしながら歩いている兵隊を狙って体当たりしてくる禿鷹は、倒れ込んだ兵隊の顔から食っていった。

獣や鳥によって食い尽くされた人骨があちらこちらに散らばり、それが『白骨街道』と呼ばれた所以だと佐藤さんはおっしゃった。

我々にはとても想像ができない過酷なお話に絶句した。

 

佐藤さんはミャンマー終戦を迎え、イギリス軍の捕虜として労務に従事。約2年後に復員した。

佐藤さんが生還されたのには幾つか理由があり、上官から言われた言葉が強く心に残っていたそうだ。

 

特に歩兵第58連隊の連隊長、三田(さんた)清四郎少佐の

 

『死ぬばかりが国の為ではない、必ず生きて帰って国の為に働け』

 

という訓示は常に心の中にあり佐藤さんを支え続けた。

 

私は10年前、インド各地を一人で放浪した。私が日本人だとわかった現地人に

 

『君たち日本人が一緒に戦ってくれたから我々は独立できたんだ。ありがとう!』

 

と言われたことが何度かあった。

戦後の洗脳教育をガッツリ受けた私は

 

『え?日本は世界中で悪さをしたんじゃないの?』

 

と驚いた。

これは今まで教わってきたことに疑問を感じる大きなきっかけとなった。

そして巡り巡って靖國神社とのご縁があり、そして今、あの時の彼らが私を通して『ありがとう』と伝えたかったご本人を目の前にしてその時のお話を聞いている。

何か不思議な縁を感じた。

 

佐藤さんは来週104歳になられるそうだ。

来年も是非靖國神社へお越し頂き、またお話を聞かせていただきたいなぁと強く願わずにはいられない。

 

今回の勉強会をアレンジして下さった久野潤西日本支部長、そして遠路はるばるお連れくださったご家族の皆様、そして貴重なお話を聞かせて下さった佐藤哲雄様には心から感謝申し上げます。